保育園児の娘に「今日あったこと」を話してもらうための方法
仕事の話、めちゃくちゃしてる
— Jessica (@Jessica_202009) 2026年5月29日
娘が喋れるようになってきた頃、「保育園で何があった?」って聞いても、たぶん何をどう話せばいいかわからないだろうなと思って。だからまず私から「今日会社でこんなことがあって」って話すようにしてたから
この話をしたらポツポツとお返事をいただいたので、ちょっと書いておこうと思う。
よく、「今日の保育園、どうだった?と問いかけても子どもは何と答えていいかわかりません。楽しかったことは何?など具体的に問いかけましょう」という主旨のツイートがバズる。
たしかに、「どうだった?」と聞かれると困る、というのはわかる。でも「楽しかったのは何?」と聞くのが解決策というのはどうなんだろう…?と思ったのが最初。
私が娘に話してほしいことって、楽しかったこととか嫌だったこととかだけじゃなくて、なんとなく記憶に残ったこととか、周りで起きたこととか、とにかくなんでもいいんだ。なんでも。
そういうわけで、「今日あったことを話す」ということを私がやってみせるのが一番だな、と思って会社の話をしている。
これが結構おもしろくて、ミスした話をすれば「失敗することがある」「失敗から挽回すればいい」「周りが助けてくれる」とか、広がり、つながっていく。社会に出ること、働くことの面白さ楽しさ、ちょっとの辛いことも伝えることで未来への見通しにもなるし、自分が保育園に行っている間、親は何しているのだろうか?ということへの答えにもなっている。
娘は、おもしろいもので、私の同僚の名前も知っているし休みがいれば心配して、繁忙期になると同僚の様子まで気遣っている。親にも自分の知らない人間関係があり、社会があり、楽しかったり苦労したりしてるんだ、ということを知っている。
子の性格が一番関係するとは思うが、うちの子はおしゃべりなので、何をどう話せばいいかわかってからは、あれもこれも全部話してくれる。
笑顔で楽しかったことをいうときもあれば、虫を見つけた話、昼寝をしなかったこと、友だちが転んで泣いて慰めた話、先生の言うことを聞かなくて怒られる友だちのこと、給食のメニュー、友だちの服がポケモンだったこと、そして、嫌だったこと、辛かったこと。
エピソードだけでもいい、感情までつながらなくてもいい。お互いなんとなく今日のことを共有している。
何でも話してほしいから、話してくれた時に受け止めることもやっているけど、まずは私の方も娘に心を開いて、いろんな話をしているのである。
子ども
結局、どれだけ相手を「他者化」できるかだろうと思う。
そりゃ実際、私のお腹に入ってたわけで、産まれてからはずっとずっとお世話してきたわけで、「お世話」が減っても目の前にいるのは世の中のことなんか知らなくて(当たり前)、いろんなことができなくて(当たり前)、物理的にも小さくて弱いから、どうしても「自分の一部」で「どうにかしてやらなきゃいけない存在」と認識してしまう。
でもそれと同じぐらい、圧倒的事実として、目の前の子どもは「私ではない」のだ。
尊重するとか、適切な距離を……とかいう「育児の心得」的な話がバズったりすることがあるけど、総じて、「他者であることをわきまえる」ことなんだと思う。私じゃないのだ、私じゃない。
子育ての面白みに「やり直し」をあげるひとがいる。子どもの新鮮さで世の中を捉えること、保育園や小学校でのイベント、家族旅行なんかを通して「もう一度、子どもに戻ったみたい」などというあれだ。
それも冷静に考えなきゃいけない。子どもの中に自分をみて、癒されてはいないか。子ども時代の自分を癒すために、目の前の子どもを置き去りにしていないか。それとも単に「親として」体験することの新鮮さ/面白さに比重があるのか。
完全に分離することなんてもちろん無理なんだけど、できるだけそれは少なくしておきたいと思う。子ども時代の自分を癒すためにやることは、自分のためにやることで、副次的に子どもも喜べばそれでいいや、と自覚すること。大人相手に「良かれと思って」とやらないように。
他人の子なら許せることが自分の子となると許せなかったり、自分の子ども時代と比べてあぁだとか思ってしまったり、そんなことはもちろんあるのだけど、でも大前提として、この子は私じゃないから、子どもの気持ちも、考えも、経験も、それはこの子のものであり私はそれを近くで見せてもらえてるだけなんだ、と思うようにしている。
そばで見せてくれてありがとうね、と思うだけ。
これは歓迎する「好奇心」で、これはやってほしくない「いたずら」だとか
これは言えて偉かった「自分の意見」で、これは単なる「わがまま」だとか
そうやって大人の(というか、私の)物差しでジャッジせず、そうかーそうかーといいながら子育てしたい。
こんなにめちゃくちゃかわいい子が大きくなる様子をこんなに近くで見せてもらえて、しかもお手伝いまでさせてもらえて、とってもとってもラッキーだよな!!!!!と、日々、思っている。
洗面スペース
家を建てた。
自分の人生で「家を建てる」というイベントが発生するだなんて、考えたことはなかった。
ホームズに相談に行った段階では建売を検討していたのに。まぁでもそんなこと言ったら、子ども産んだり、結婚したりすることも、考えたことなかったからな。予想外だらけの人生である。
どう考えても建売しかないし、注文住宅を検討し始めたあとも建売も見に行ったりしたのだが、いつの間にかもう注文住宅ということになっていた。
うちは夫が原則在宅勤務だし、私も子どもも家で過ごすのが好きだから住宅に課金するのは間違ってないだろうということと、あとはもう「見ちゃったらダメ」ということですね。「注文住宅」という選択肢を見てしまったら、戻ることはできない……。
回遊動線だとか、ランドリースペースだとか折り下げ天井だとか「家づくりのこだわり」って言われるものっていろいろありますが、私が不思議だなと思うのは、家づくり関係なく共感を抱いたり身近に感じるひとたち(つまりTwitterやインスタでフォローしているひとたち)のほとんどみんなが「本棚」と「洗面スペース」にこだわっている、ということ。本棚はまぁわかる。本をよく読むひとばかりなので。でも次が「洗面スペース」というのがおもしろい。キッチンより「洗面スペース」の優先度が高い。
こんな風に書いたら嫌がられるかもだけど、毎日料理はしなくても、毎日顔は洗うもんね、手は洗うもんね、ということだと思っている。
うちのハウスメーカーは、さすがに私にも名刺を渡したけれど、キッチンの話は「奥さま」と私のほうに切り出すし、夫のワークルームを「書斎」と記載して図面を作ってくる(うちには図書室があるので「書斎」表記は違和感なのに!)
そんななかで、キッチンより「洗面スペース」にこだわる「女たち」(あえて乱暴な言い方をしますが……)は、当たり前に「性別役割分業」なんて飛び越えて、外に出ていくために自分を整える「洗面スペース」にこだわるのかな、なんて思ったりする。
ゆーーーてキッチンよりこだわれますからね、洗面スペース。こだわれるから、こだわりたくなるって単純な話かもしれないけど。タイルとか、沼だから。もうどこかで見るのをやめないと絶対に決まらないやつだから。
買うはずの土地が半年待たされた挙句、倍の値段でやってきたりとか(もちろん蹴り飛ばした)、我慢するはずだったドアへの課金を全部やってしまったとか(でもドアストッパーは外付けにして微妙に値段を抑えたりとか)(まじでいらぬ抵抗だったかも知れないが……)いろいろとあったけど、とにかく、とにかく。ここで生きていきます。
子は育つ
思い起こせば、混合育児だった頃も「母乳とミルクのいいとこどり」というテンションだったのに、結局両方のデメリットを甘受する羽目になった。そのうえ、母乳血便と消化管アレルギー(乳)のダブルだったから原因がわかるまで大変だったしわかってからも両方に気を配っての育児だった。
現在、私が時短で働いて、16:45に保育園にお迎えに行っているのはそのあとたっぷりと子どもと過ごす時間を確保するためで、それでも仕事を続けているのは自立と自律のためで、なにより働くことが好きだからなんだけど、短い時間の勤務でキャリアは重なっていかないし、短時間保育の子たちより少し遅いから次の遊びに参加できそうでできないことが子どものストレスになっているように感じる。
仕事でやりたいこともやらなきゃいけないこともほぼできなくてお願いするばかりだし、異動したから責任ある仕事から外されちゃうし(これはワーママ関係ないか!でもキャッチアップに日数がかかるのは1日あたりの実働が少ないからだ)。
家事育児も、仕事も、どっちも得たくて、どっちも中途半端。
それでも、
「かか、お仕事どうだった?がんばった?ありがとうって言われた?がんばりすぎなかった?楽しんだ?」と子どもに言われると、中途半端だろうがなんだろうが仕事をしていることそのもので、子どもに何か渡せているような気がしてくるんだよね。
そして、「かか、ごはんの前にいっしょにあそぼ!」と言われると、その時間を捻出できていることで、何か渡せているような気がする。
家庭保育じゃないと渡せないものも
仕事をしているからこそ渡せるものもあって
優劣なんかなくてただ種類があるだけだと思っているんだけど
「中途半端な仕事と中途半端な家事育児」しか、してない私でも、子どもはすごくて勝手に何かを汲み取って成長してくれるから、それをありがたく思って、私は呻きながら唸りながらただ生きていく。
登園の時の別れのあいさつは「愛してるよ、楽しんで」。
私も子どもからの「愛してる」と「楽しんで」を胸に、一日を積み重ねる。
4歳、おめでとう。
いつもいつも、あなたが私を支えてくれる。
靴洗いいろいろ
前提
いろいろとその時々で話題になり、一週間後はおろか三日後には何の話をしていたのかすっかり忘れてしまうところがインターネットの面白いところ(面白いところ?)だと思う。
先日は、それはもうぼろぼろとしか表現できないような上履きをやっと捨てられる……という話で盛り上がっていた。
別に新年度の区切りじゃないと手放せないわけじゃなかろうよ、とか、色々と思うところがあったが、その投稿をきっかけにいろんな「上履き」や「靴洗い」事情が次々と披露されるなか、最も気になったのは「漂白」云々であった。
…‥漂白?漂白って、布巾とか、白いものをすっかり元通りにするための?上履きって(白いものがほとんどではありますけど)漂白するの?洗うだけじゃなく?……と、頭の中は「???」でいっぱいになった。
そんなわけで、じゃあ私はどうしているの?という、靴洗いに使ってるものをぞろぞろと紹介します。
できるだけメーカーサイト貼るので、そのときどきや各自にあった方法でご購入ください。
①洗剤 クツピカ
楽天で見つけて購入。オレンジリモネンできれいにするので、柑橘の匂いがいいかんじ。一生懸命こすらなくても落ちるし、ジェルタイプだからですかね?少量でもしっかり泡立ち、洗えます。
ボトルは「詰替」とのことだけど、このまま使ってます。
②ブラシ
Amazonで購入。毛のブラシじゃないんだよね。マジックテープの固くない方、みたいなかんじ。なのでマジックテープにめちゃくちゃ引っかかる…
洗剤はもちろん、このブラシもいいんだと思う。なにがどういいのかよくわかってないが……
③マーナ バケツ(5L ホワイト)
上履きと外履き2足をまとめて洗っている。洗ったり流したりする過程で、2足(15.5)ともこの桶なら入れられる。
汚れ物のつけおき洗いもこれ。蓋ができるからお湯がすぐに冷めないのがいい。蓋を引っ掛けることもできる。意外と便利。
これの前はじゃばらで折りたためる洗面器を使っていたが、じゃばら部分に亀裂が入ってきたので買い替えました。すっきりした見た目もいい。
そもそも、何を履かせてる?
上履きはイフミー、外履きはアシックスである。
アシックス、銀座の店舗で足のサイズを測ってもらえるサービスがあり(以前は機械でやってたが、機械の故障によりいまは店員さんが測ってくれる)、毎度それで購入している。ファーストシューズからずっとそう。
なお、店員さんがサイズアップの目安(次は○ヶ月後ですかねー)と言ってくれるので、それを目安に買い替えているのだが、ドンズバでその頃になると転びやすくなったりと兆候が出るのでプロはすごい。
保育園靴で一番娘が気に入っていたのは、SUKUSUの1本ベルトのもの。
「べりっ」の部分が大きくて1つなので、ガバッと履いてガバッと止めてすぐ走れる!すぐ走りたいのである!!!
……保育園でも言われましたわ、園庭に出たり散歩に行くときに、スッと履き替えられるのはマストだと…お友だちがみんな出て行ってるのに自分だけモタモタしているのは本人つらいから、と……
おわりに
そんなかんじです。なお、我が家の靴箱には生まれてから履いてきた靴がすべて残っています。。。いつ整理するの…………
また今度何か書いて、それで処分しようと思います。
人事異動前夜
いまだに動揺が落ち着かない。人事発令から一週間以上が経った。
10年弱勤めた部署を離れることになった。間に産休育休あったけど、それだって1年取ってないから、やっぱり体感は10年弱。
契約社員で入って、そこから正社員登用、社員としても最短で昇級してきて、頭一個抜けたグレードまで上げてもらった、だから、やっぱり、すごく……なんだろうな。
この10年、転職サイトをみたことなんて数知れないし「辞めなきゃわからんか!?」と同僚とサイゼでグチったのも昨日のことのよう。辞めたい、辞めたいっていいながら、初めて異動希望出したのがこの前の秋。そこからの半年は忙しかったけど人間関係は最高で、仕事も忙しいけど楽しくて(私がやってることは、オーバークック2みたいなことです)。だから、別にここにもう少しいてもいいな、と思っていた矢先だった。
というか、チームの正社員3名のうち2名が休職になっちゃったから、私なんて絶対異動にならんだろうと思ってたから、遅すぎるお昼から戻ってきて部長に呼ばれた時「え、私なにかやらかした!?」と思った。異動が、と言われても、2名が休職になってるから、補充の話をされると思った。
そのあと、震えながら仕事して。私が退勤してから掲示されるから黙ってて。でも、泣きそうだった。だってなんか、もう、私の仕事ってなんなんだろうと思って。
いまの課長は感覚が通じていて、下期は特に新規プロジェクトに入りながら日常をまわす……という感じだったんだけど、来期はもっとプロジェクトにどっぷり入ってもらう(そのために肩書きも上げることを検討している)と言ってもらえていたんだけどね。これで異動すると、またゼロから始めなきゃいけない。
グレードがあがって、給料あげてきて、それで人事発令で、その説明で言われたのが「ちょっとしんどい1年だったもんね。少しゆっくり働きましょう」「お子さんが小さいうちはね、無理しないほうがいいから」。
課長はそりゃ怒って、「子育て」を理由に勝手に業務負荷を減らすのはハラスメントだよ、と。私は復職の時にもそれやられてるんだけど。またなんだけど。
勝手に私のワークライフバランスを取らないでくれる????なんなんだろうな、ほんとな。
つまりは希望しない異動先にいくことになって、そりゃまぁ仕方ないんだけど、いまやってる仕事とほぼ同じことをするなら、いまのとこに置いてもらったほうが機能するしどうして危機的状況を作り出すんだろうね。まぁ、10年って弊社基準だとあり得ない長さだからなんだけど、でも、この10年で一番、「今じゃない」って思った。
泣いてくれて、ため息ついてもらって、そんななかで毎日仕事してる。
私の罪じゃないのに、私が、「迷惑おかけします」「ごめんなさい」って繰り返してる。
でもね、10年前、サイゼでグチってた、同じく10年選手の同僚が同じく謎の人事異動を喰らってて、彼女は子どももいないから、この謎采配はただの自殺行為なのかもな。
グレード0と同じことをするのかな?
簡単な仕事で、責任もなく給与だけ貰えるならラッキーだって思う?私は思わない。
積み上がらない時間を過ごしたくない。0と同じ仕事でも構わないから、その先を私に見せてよ。
まだ管理職志向/思考がない私の、いまの、やわやわの気持ち。
新しい人間関係も、新しい仕事も、めんどくさいな。
私のことをおもしろがって、重宝がってくれてるところにいるのが一番楽だよな。
「異動は、一度したらまたやりたいって思うよ。社内に味方が増えるんだからいいよ」と言われたけど。ほんとにそうかな?
異動していった先輩たちからの「この春で」辞することにというメールを見ながら考える。
じゃあ次何をしようか?どうしてみようか??
まずはお別れのお菓子を発注して、ご挨拶を考えなきゃいけない。
失敗じゃない
靴下はく前に絵本も読んでくれ、という娘に「暑くなっちゃうからお買い物に行っちゃおうよぅ、頼むよう」というやりとりを経て着いたスーパーの入り口、「電子決済使えないじゃん!!お財布ない!!」と叫ぶ私。
ちょっとだけ風邪っぽい娘と、今日は出社日の夫。お迎えコールに即座に対応できないなーとか、出社時間に間に合うか気にしながら準備するの厳しいなーと思う私。それで、まぁ大事をとって、という形で保育園をお休みをすることに。
娘はうどんとサンドイッチ(山ほどレタスを挟んで食べてくれる)が大好きで、お昼と夜はそれでどうにかしようと思ったのだけど、食パンがないからそれを買いに出かけた先でのことだった。
「ごめんねサメちゃん、かか、お財布忘れちゃったから一度おうちに取りに帰っていい?」「いーよー。帰りはだっこして」「うんうん、抱っこで帰ろ。あーごめんね、せっかく急いで準備してくれたのにね。かか、失敗しちゃったね、ごめんね。あーほんとごめんね」「この前とともお財布忘れておかねおろしていたよ」「そうだったね、とともかかも忘れ物多くてごめんね。かかはお金のカードもないんだよ」「そっかー」「ごめんねぇ、ごめんね。あーもう暑いね」「……かかぁ、おさいふ持ってまたスーパーに行けば失敗じゃないよ」「…え?あ、そっか」「そうよ、サメちゃん玄関でくっく履いたまま待ってるよだいじょぶよ」「……うん、ありがとね」「そよ、だいじょぶよー」
抱っこしてたから娘の表情はわからなかったけど、私は隠れて涙をぬぐって強くぎゅーっとした。この子の優しさに何度救われるんだろう。
娘はたぶん、月齢相当より喋るのが達者だ。テレビを見ていても(大概、ミッキーマウスクラブハウス)あれがこうなってこうしてどうだった、という説明を早くからするようになり、最近では「けけちゃまがかずむお兄さんがとってくれたお花をかいだら元気なくなっちゃって、いなくなっちゃった、心配なの」と眉間に皺寄せてる。
娘から向けられたやさしさを、受け止めた手のひらから零れ落とさないようにって思うのだけど、でも記憶ってものがまるで全然信用できないので、とにかくとにかく言葉にして記録してつづっておかないといけない。
娘は完璧主義なところがあって(月齢相当かもね)、結構すぐに「失敗しちゃった」っていうんだけど、私はその「失敗した」って言葉にいちいち傷つき、「失敗したっていいし、大体それは全然失敗なんかじゃないんだ」ってしつこく言っちゃうんだけど、もしかしてそれが少しでも伝わっていて、そうやって言ってくれたなら、私が勝手によかれと思ってやっていることが少しでも、ほんの少しでも娘のなかに残って、それが他者へのやさしさという形で発露しているのなら、ただ単に「子どもに優しくされて嬉しい」ということじゃなくて、普段の私の行動に丸をつけてもらったような気に勝手に勝手に勝手になんだけどなって、そういうの含めて心の柔らかいところもかたいところも全部まとめて握りしめられてしまった。
帰ってきて、玄関で待っていてくれる娘に「大きな声で何か歌っていて(鍵開けて出て行っちゃわないか心配なの)」と言ったら「ABCでいい?えぇーーーびーーしーーーでぃーーー!!かか、これで聞こえるうーー!!?」って叫んでいて、それもすごいぐっときた。あのね、もうあの頃の「ワンオペ」とは違うよね。
夜、寝る前に「もう一回、スーパーに一緒に行ってくれてありがとね」と言ったら「失敗じゃなかったねー」って笑うから、もうほんと、どうしたって泣いてしまう。