心地よく暮らしたい。

1988年3月生まれ。都内で働いています(時短勤務)。夫と3歳児と3人暮らし。ヲタク。読書、手帳術、iHerb、海外ドラマetc

失敗じゃない

靴下はく前に絵本も読んでくれ、という娘に「暑くなっちゃうからお買い物に行っちゃおうよぅ、頼むよう」というやりとりを経て着いたスーパーの入り口、「電子決済使えないじゃん!!お財布ない!!」と叫ぶ私。

ちょっとだけ風邪っぽい娘と、今日は出社日の夫。お迎えコールに即座に対応できないなーとか、出社時間に間に合うか気にしながら準備するの厳しいなーと思う私。それで、まぁ大事をとって、という形で保育園をお休みをすることに。

娘はうどんとサンドイッチ(山ほどレタスを挟んで食べてくれる)が大好きで、お昼と夜はそれでどうにかしようと思ったのだけど、食パンがないからそれを買いに出かけた先でのことだった。

 

「ごめんねサメちゃん、かか、お財布忘れちゃったから一度おうちに取りに帰っていい?」「いーよー。帰りはだっこして」「うんうん、抱っこで帰ろ。あーごめんね、せっかく急いで準備してくれたのにね。かか、失敗しちゃったね、ごめんね。あーほんとごめんね」「この前とともお財布忘れておかねおろしていたよ」「そうだったね、とともかかも忘れ物多くてごめんね。かかはお金のカードもないんだよ」「そっかー」「ごめんねぇ、ごめんね。あーもう暑いね」「……かかぁ、おさいふ持ってまたスーパーに行けば失敗じゃないよ」「…え?あ、そっか」「そうよ、サメちゃん玄関でくっく履いたまま待ってるよだいじょぶよ」「……うん、ありがとね」「そよ、だいじょぶよー」

 

抱っこしてたから娘の表情はわからなかったけど、私は隠れて涙をぬぐって強くぎゅーっとした。この子の優しさに何度救われるんだろう。

 

娘はたぶん、月齢相当より喋るのが達者だ。テレビを見ていても(大概、ミッキーマウスクラブハウス)あれがこうなってこうしてどうだった、という説明を早くからするようになり、最近では「けけちゃまがかずむお兄さんがとってくれたお花をかいだら元気なくなっちゃって、いなくなっちゃった、心配なの」と眉間に皺寄せてる。

 

娘から向けられたやさしさを、受け止めた手のひらから零れ落とさないようにって思うのだけど、でも記憶ってものがまるで全然信用できないので、とにかくとにかく言葉にして記録してつづっておかないといけない。

 

娘は完璧主義なところがあって(月齢相当かもね)、結構すぐに「失敗しちゃった」っていうんだけど、私はその「失敗した」って言葉にいちいち傷つき、「失敗したっていいし、大体それは全然失敗なんかじゃないんだ」ってしつこく言っちゃうんだけど、もしかしてそれが少しでも伝わっていて、そうやって言ってくれたなら、私が勝手によかれと思ってやっていることが少しでも、ほんの少しでも娘のなかに残って、それが他者へのやさしさという形で発露しているのなら、ただ単に「子どもに優しくされて嬉しい」ということじゃなくて、普段の私の行動に丸をつけてもらったような気に勝手に勝手に勝手になんだけどなって、そういうの含めて心の柔らかいところもかたいところも全部まとめて握りしめられてしまった。

 

帰ってきて、玄関で待っていてくれる娘に「大きな声で何か歌っていて(鍵開けて出て行っちゃわないか心配なの)」と言ったら「ABCでいい?えぇーーーびーーしーーーでぃーーー!!かか、これで聞こえるうーー!!?」って叫んでいて、それもすごいぐっときた。あのね、もうあの頃の「ワンオペ」とは違うよね。

 

夜、寝る前に「もう一回、スーパーに一緒に行ってくれてありがとね」と言ったら「失敗じゃなかったねー」って笑うから、もうほんと、どうしたって泣いてしまう。