心地よく暮らしたい。

1988年3月生まれ。都内で働いています(時短勤務)。夫と3歳児と3人暮らし。ヲタク。読書、手帳術、iHerb、海外ドラマetc

娘の太もも

娘の太ももが文字通り「太め」なのでは?と夫に初めて聞いたのはいつだっただろうか。

 

自分自身に対する、見た目のコンプレックスなんていくらでもある。他人による、あるいは他人が受けたルッキズムへは怒りを覚えるのに、自分に対して湧き上がるそれにうまく対処する方法がまだわからない。自分による、自分に対する、差別。

脚、とりわけ腿が太いのは私にとって外見の中で最も嫌いなところのひとつだ。一番やせっぽっちだったときも、腿だけは驚くほど大きかった。母親はスカートを買ってくれたことがないので、太い脚に合わせてウエストがぶかぶかのズボンを履いていたのをよく覚えている。

女子高生になって、スカートをみんなが折りまくって膝上15センチにしているときも、私は膝丈を死守した。「優等生ぶっている(よく言われた陰口)」だからではなくて、脚の太さをごまかすために過ぎなかった。就活も、学部生の時はタイトスカートだったけど、それがとてもとても辛かったので、修士出るタイミングの就活では、Aラインのものをニッセンで買った。

正直、あきらめているので、運動をしようと思っても「ウエストを細く」「二の腕の振袖をなくしたい」というようなピンポイントの筋トレはするけど、「足痩せ」みたいなのはもう興味もない。これで生きていくしかないんだよな、と思っている。

 

で、冒頭。

娘の太腿が、どうもひとより太いのでは???ということが折に触れて気になるのである。本人がいる前で夫に尋ねてしまうほどに(まじで最低なので、さっきの1回で最後にします)。

「ひとより」といっても、比較対象はオムツのパッケージ写真ぐらいで、履いているレギンスがきついとかそういうことはまったくない。まったくないのだけど、たぶんだけど、たぶんだけどね、やっぱり、ちょっとひとよりたくましいように私には見える。

 

1歳を待たずして歩けるようになった娘は、1歳7ヶ月の現在、道路の歩道はもちろんモールでは大人に混じって歩いている。手をつないでいるこちらがスピードに向ける意識はほとんどなく、方向だけ少し気にしてやればいい。それぐらいハイペースで、そしてご機嫌でよく歩く。

家ではIKEAのプレイマットで作った段差の上り下りをし、ウサギの真似をしてジャンプを連続でし、音楽が流れれば立ち上がりターンを決め、飽きてくると家の中で追いかけっこ。とにかく動くことが好きなようである。

そんなわけだから、脚の筋肉が発達するのは当然なのだけれど(毎晩毎朝の激しいキックで脚力を実感している)、自分の嫌いな部分を娘の中に見てしまい、どうもそれを「取り除いてやりたい」と思ってしまっているのである。

 

自分が苦労したことを、子どもには回避させたいというのは(親のエゴではあるものの)一般的な「親心」の範疇だと思うのだけど、さすがに「子どもの中に自分のコンプレックスを見てどうにかしてやりたいと思う」のはそれを越えていると思う。子どもが気にしたとき、「それが自分自身の価値を毀損するようなものではないこと」を伝え、それでも変えたいと本人が決めたときに応援する、こと、が、「親」なのかな、と。

これから先もきっと娘のなかに、娘のやることに自分のコンプレックスや苦手なことをみるだろう。けれどそのとき、「一線を引く」ことが必要で重要だ。「寛容」でも「受容」でもましてや「許容」なんかではなく。一線を引いたうえでの抱擁しか必要でない。

 

……なんてことを考えた二度目の「母の日」。「母とは」を考え、自省し自戒し自律した昼間でした。