心地よく暮らしたい。

1988年3月生まれ。都内で働いています(時短勤務)。夫と3歳児と3人暮らし。ヲタク。読書、手帳術、iHerb、海外ドラマetc

2歳の誕生日に。

 

鼻の奥にかすかに残っていた新生児のあの独特の匂いを、もうどう頑張っても思い出せないことに気がついた。

まだ胎動は思い出せるのに、あの匂いはもうどこかに消えてしまった。

 

日々、そんなことばかりである。

安定しない首を持ち上げようともがく様子も、何かにつかまらないと立っていられない不安定さも、まだ声にもなっていないかすかな音も、もう動画のなかにしかない。

 

いま、目の前にいるこの子は、いやいやと激しく首を振り、「初速なぜそこまで出る?」と驚く速さで逃げ、強い意志のもと「かか、いや!!!!」と叫んでる。

 

まぁ、成長だわな、と思わないとやっていられない。

 

子どもに「きらい」と言われると結構ふつうに嫌な気持ちになるんだな、というのは学びだった。

何か気に食わないことがあってそう言うときもあるし、ストレス溜まってこちらの気持ちを試すようにそう言うときもある。

結構ふつうに嫌だけど、とてつもなく好かれているとも感じるので、どうにかやっている。

 

保育園のお迎えのとき、私を見つけてうれしそうな顔で「かか!」と叫んで一直線に走ってきて抱きついてしばらくそのまま抱き合ったり

「かかといっしょにいたいよー」と号泣してしまいにはお風呂に入ってきちゃったり

私が元気ないときにそばにきて「えへへ」って笑ってみせておもちゃを貸してくれたり

「おいしい!」って食べているものを「かか!どーじょ!」とくれたり

 

「親にすがらないと生きていけないからそういうもんでしょ」とか「ホルモンがそうさせるんでしょ」とかどうでもいいんです、とにかく「この子には私が大切なんだな」と私がいまここで感じられていることがすべてて、それがまやかしでもいいんです。

 

ふたりでたくさんふざけて、一旦終わりになって、また思い出して再開したタイミングが一緒でそれがおかしくって笑ったよね、なんてこと、どこにも残ってないけど、どうせ消えていってしまうものなんだけど、私がそのとき感じたしあわせはきっとずっとどこかに残っていると思うし、子どものなかにもそれがどこかに残っていて、しあわせとか愛されてるってことが積もっていって、子どもが少しでも生きやすくなったらいいな、とか思ったりする。

 

全部私の勝手だし

全部私の勝手だってわかってるけど

そんなの、産む前から全部勝手だし

 

だからあなたも好き勝手していいからね、でも頼むからパジャマは着ておくれ、あなたが風邪をひかないためなので。。。

 

これからもできるだけ「そうして欲しいのは親や大人の都合だからなのか、本人のためだからなのか」を問いながら後者についても落とし所さがしながら短いだろう共同生活をやっていこうと思う。

 

2歳、おめでとう。

 

意味も理由もなく呼びかける私に優しく「かか」と呼び返し、ふふふと笑ってくれる。

毎日、幸せを、喜びを、ありがとう。

こんな世の中に産んじゃってごめんなうえに、私めちゃくちゃもらってばっかりでは!?と思うから、とにかくあなたの幸せの、喜びの、ことばかり考えています。

まだ足りないしどうやっても足りないんだけど、できるかぎりのことはしたいって、いつだって思ってるよ(キャパも体力もついてこないけど……)

「そばにいなくても大丈夫だな」と少しずつ感じられるようになった2年。いつか完全に手が離れるときがくるのを、楽しみにしてるよ(寂しくて号泣することもわかってるけど)

 

 

夜中、蹴られて起こされるたび、何度も飛び起きて呼吸を確かめていた頃のことを思い出す。

………胎動だけやたらとはっきり思い出せるのはこのせいなのかもしれない。

 

あなたの人生が笑顔で満ちあふれたものでありますように。